フィリピン法制度視察~婚姻取消制度を中心として~
記事カテゴリ:所属弁護士の活動
2024年2月
弁護士 田 邊 正 紀
弁護士 西村安杜夢
2024年2月22日と23日の2日間、フィリピンの各司法機関を訪問し、フィリピン法制度と実務の視察を行いました。今回の視察では、日本に在住するフィリピン人の方が直面することの多い、婚姻取消制度(アナルメント)を中心に調査を行いました。以下報告です。
1 マカティ地方裁判所(Makati City Regional Trial Court)
マカティ地方裁判所において、法廷傍聴を行った。傍聴を行った事件は、刑事事件、少年事件、商事事件である。
刑事事件の内容は、警察官が「おとり捜査」で覚せい剤の密売人から違法薬物を購入し、売人を逮捕したという事件である。当日は、おとり捜査に当たった警察官の証人尋問が行われた。被告人は、留置施設に設置されたカメラの前から参加していたが、周りには他の留置者も一緒にカメラを見ており、落ち着いて自分の裁判の成り行きを見られる雰囲気ではなかった。コロナ後は、被告人は、原則としてこのような形で自分の裁判を見るようになったとのことである。公設弁護人から証人に対する質問では、弁護人は、証人に対し、厳格に「はい」か「いいえ」で答えることを要求しており、自由な発言を許していなかった。検察官は、何度も「異議」を出し、裁判官によって「異議」が認められていたが、弁護人はひるむことはなかった。日本の裁判よりもよほど尋問技術を駆使して活発に議論が行われていた印象である。
少年事件の内容は、被疑者が小型バスの中で被害者である少女にわいせつな行為をしたか否かが争いの事件であった。当日は、被害申告を受けた市の職員の尋問が行われていた。ここでも、被疑者は、傍聴席に座らされており、裁判の当事者として扱われていないことがとても気になった。なお、フィリピンにおいては、日本とは異なり、被害者が未成年である場合にも、通常の刑事裁判ではなく、少年事件を扱う家庭裁判所で審理が行われることとなるそうである。
これら法廷傍聴は、愛知県弁護士会から現地法律事務所へ出向している野口洋高弁護士が所属するSibuion Reyna, Montecillo and Ongsiako Attorneys and Counsellors-At-Lawのメンバーによるアレンジとアテンドによって行われた。彼女らのアテンドと解説がなければ、これだけ充実した法廷傍聴はできなかったであろう。感謝である。
2 Gargantiel Ilagan & Atanante Law Firm(通称GIA law)
ケソン市にあるGIA Lawを訪問した。GIA Lawは、2016年に設立されたパートナー3名、アソシエト10名の新興事務所である。GIA Lawのパートナーの一人が、私(田邊)が所属するInternational Academy for Family Lawyersのメンバーであり、彼の講義に感銘を受けて訪問を決定した事務所である。ここでは、フィリピンにおける婚姻取消制度(アナルメント)について主に質問を行った。フィリピンは、世界で2か国だけ残された離婚制度の存在しない国である(もう一つはバチカン市国)。そのため、フィリピンにおいては、どうしても婚姻解消したい場合には、事実上「婚姻取消」(アナルメント)が行われることになる。婚姻取消原因は複数存在するが、最も利用されるのが、配偶者の「精神的不能」である。彼らの回答によれば、精神的不能は、婚姻時に存在しなければならず、それは心理学者の意見書によって証明されなければならないとのことである。私たちからすれば、「そんな証明ができるのか?」と思うが、フィリピンにおいては、相応の割合で婚姻取消が認められていることからすれば、裁判所でも通るような形で意見書が記載されているものと思われる。なお、心理学者の意見書作成費用は、日本円で15万円から30万円程度とのことである。現地弁護士に、「婚姻取消裁判は、法廷内の皆が事情を分かった上でのセレモニーなのではないか?」と問いただしたところ、「そういう側面もある」というような回答であった。このことから、実際の実務がどのようなものであるかは、大体想像がついた。
3 マリガヤハウス訪問
マリガヤハウスは、NPO法人JFCネットワークが運営する現地事務所である。JFCネットワークは、主に日本人父とフィリピン人母との間に生まれ、日本人父から養育放棄された子どもたちを支援して、認知や養育費の支払いを受けることや、日本国籍の再取得を支援している団体である。マリガヤハウスは、フィリピンに在住するこれらの子どもや母親からの支援の申し込みを受け付け、支援対象案件を選定し、日本の弁護士と連携して日本国内の家庭裁判所で行われる手続を支援している。年間約200件の案件の支援を行っているそうであるが、資金は基本的に寄付に頼っており、常に支援弁護士不足、資金不足の問題に直面しているとのことであり、私たち日本の弁護士としては、もっとこれらの問題に目を向けて支援をしていかなければならないと感じた。
4 Sibuion Reyna, Montecillo and Ongsiako法律事務所訪問
SRMO法律事務所は、アメリカ統治時代から100年以上の歴史を有する老舗法律事務所であり、現在約50名の弁護士を有する中堅事務所である。入り口から会議室まで、廊下の壁にはぎっしりとアメリカの判例集が納められていたが、現在は、オンライン検索が可能なためオブジェとして飾ってあるとのことであった。2024年1月からフィリピン統一弁護士会(The Integrated Bar of the Philippines (IBP))の会長を務めるAntonio C. Pido弁護士も同事務所に所属しており、当日もご挨拶に来ていただいた。同事務所でも婚姻取消について話題となり、婚姻取消は必ず認められるものではなく、2年から3年の期間を要する困難な手続である旨の説明があった。一方で、自身で2回婚姻取消を経験し、現在3人目の妻と生活している弁護士がいるなど実務を垣間見られる会話もあった。
5 フィリピン統一弁護士会マカティ支部とのランチミーティング
当日は、フィリピン統一弁護士会マカティ支部から約10名の弁護士にお越しいただき、事前にこちらが提示した質問項目である「国際投資詐欺、国際ロマンス詐欺による被害の回復」について、講義を行っていただいた。フィリピンも日本と同様かそれ以上に消費者保護法は充実しており、様々な法律が用意されていることが分かった。しかしながら、日本と同様、外国のSNSアカウントの保有者を特定することは難しく、暗号資産(仮想通貨)などを詐取された場合には回復が困難であり、外国の捜査機関との捜査協力は重大事件でないと実現せず、実現したとしても時間がかかるなど日本と同様の問題を抱えていることが分かった。
また、弁護士の懲戒制度についても話題となった。フィリピンでは、弁護士自治は認められておらず、弁護士に対する懲戒は、フィリピン統一弁護士会の調査と提案により、最高裁判所により行われるとのことである。最高裁判所による弁護士会からの提案を変更しての懲戒処分は頻繁に行われるようである。なお、フィリピンにおけるもっとも多い懲戒事例は、「弁護士の不倫」とのことであり、この手の私的な事柄で弁護士が懲戒となることのない日本とは事情が異なるようである。なお、それに次いで、事件放置、依頼者の預かり金の横領が多い点は、日本と同様のようで残念な状況である。
なお、ここでも、婚姻取消制度が話題となり、心理学者が婚姻取消裁判に提出する意見書を作成するためにどのような調査を行うかを聞き取った。原則として、婚姻当事者から話を聞いて意見書を作成するとのことであるが、それがかなわない場合には、家族の誰か一人から話を聞ければよいとのことである。なお、精神的(婚姻)不能を立証するためには、生まれてから結婚するまでの細かな成育歴を意見書に記載するとのことであり、意見書は十数ページになることが通常のようである。また、権威ある心理学者を選定することが必要で、できる限り政府所属の心理学者を選定することが裁判所からの信頼を得るうえで重要とのことであった。なお、「3か月や6か月で婚姻取消(アナルメント)を取得する」とうたっている業者もいるが、違法なことをやっている可能性が高いので、コンタクトしない方が良いとのことであった。
フィリピンでは、現在、5年間の別居後に離婚できるとする法案が国会に提出されているが、全国区で選ばれた24名の議員から構成される上院がカトリックの影響を強く受けており、毎回、離婚法案は上院で廃案となるようである。
6 JETROマニラ事務所訪問
JETROマニラ事務所は、マニラ市街を見下ろすAIAタワーの44階にあり、会議室から見る眼下の景色は壮観であった。同事務所では、フィリピンの投資環境に関するお話を伺った。平均賃金は、インドネシアとベトナムの間くらいであり、労働コストの観点からはまだまだ魅力的な国であり、フィリピンの平均年齢は24.7歳ということであり、平均年齢が48.4歳である日本とそのポテンシャルの差は歴然であった。一方、貿易収支は大幅な赤字であり、フィリピン国外で家政婦や工場労働者として働くフィリピン人からのGDP8%にも上る本国送金が国内経済を支えているとのことである。国としても、海外に労働力として出ていくことを推奨しており、様々な優遇措置があるとのことである。企業進出の場面では、2022年に外資規制が大幅に緩和され、通信や運送、再生エネルギー分野など外国資本の独資による投資ができる分野が大幅に広がったとのことである。なお、フィリピンが、最大の優位性を持っているのは言語であり、ほとんどの国民が英語を話せることから、コミュニケーションが容易であることがあげられる。英語圏のコールセンターが軒並みフィリピンに作られているなど、言語的優位性は日本には真似できない点である。
7 フィリピン大学訪問(University of the Philippines Diliman)
日本弁護士連合会から派遣され、フィリピン大学ディリマン校で研究員をしている小幡孝之弁護士のご紹介で、同大学を訪問し、法学部長からの歓迎を受けるとともに、校内の案内を受け、何人かの教授陣と夕食を共にした。同大学では、一般的なフィリピン法の法学教育の他、アジア法研究センターなど高度な研究を行うセンターを複数保有していた。フィリピンにおいては、法曹になるためには4年間法学部に通い、さらに4年間ロースクールに通った後、司法試験に合格する必要がある。フィリピン大学では、20年以上前から、リーガルクリニックの授業が採用されており、ロースクール4年時に指導教官のもと実際にクライアントから事情聴取し、本物の法廷に立って依頼者を代理する授業が必須となっているとのことである。ロースクールにおいて、徹底した実務教育が行われていることの証である。司法試験に合格した後は、司法研修などはなく、すぐに実務につくことができるが、何年間か弁護士として政府機関に勤めた後、民間の法律事務所に就職するコースが人気のようである。なお、夕食会には、同大学の法学部の教授で、元国際刑事裁判所(ICC)の裁判官であったRaul Cano Pangalangan氏ともお話しする機会をもてた。同氏は、憲法と国際法の教授であるとともに約20年フィリピンにおいて刑事裁判官を務めたという経験を生かして、同職を得たとのことである。
今回の訪問で、フィリピンの司法制度やそこに携わる司法関係者がどのような人たちであるかを体感することができた。これまで私たちがもっていたフィリピンに対するイメージは、日本で生活して問題を抱えたフィリピン人の方からの相談を受ける中で形作られてきたものであるが、現地の司法関係者と直接話をすることで全くイメージが変わったといってよい。正直、フィリピンを訪問する前は、フィリピンの司法制度は汚職まみれなのだろうと想像していたが、弁護士は非常に理性的で論理的に物事を理解して話をするし、裁判所で行われていた司法実務も想像をはるかに超えて、私たちが想定する「裁判」であった。法廷において日常的に「準備書面記載の通り陳述します」などといっている日本の弁護士よりも、法廷で活発に議論をするフィリピンの弁護士の方が、事案の把握力も尋問技術や交渉力も優れているのではないかとすら思えた。日本の弁護士も、彼らに負けないように、不断の努力を継続しなければならないと肝に銘じる視察となった。